"和泉櫛の由来"



 "和泉櫛は"は江戸時代の風俗について記された書物にもその名前が出てきます。
大阪府貝塚は我が国最古の櫛の産地として伝わっています。
 その由来は古く、仏教が我が国に伝わった直後の560年頃、欽明天皇の御代に八種類の櫛造りの器具を持った異国人(たぶん韓国人か中国人)が貝塚市二色浜に漂着し、里人に櫛の製法を伝授したのが始まりと言われています。1710年頃には、貝塚市に119名の職工がいたと言われ、宮中や御所などに納入された記録が残っています。また櫛の全国生産の80%を超えたことから、人々は感謝の気持ちをこめて、現在の貝塚市沢に始めて異国人が持ち込んだ八種類の櫛造りの器具にちなんで八品神社を建立し、櫛の神様として崇めてきました。八品神社には珍しい櫛塚も見られます。
10世紀には天皇直属の櫛職人が任命され、年貢が免除される等の優遇措置を受けていました。当時貝塚周辺は和泉国日根郡近木庄(いずみのくに ひねぐん こぎのしょう)であったため、”近木櫛”と呼ばれていたようです。
 その後、いつごろから"和泉櫛”と呼ばれるようになったのかは定かではありません。

 
昔は泉州地方(大阪府南部)では女の子が生まれると庭につげの木を一本植えてその子が大きくなってお嫁に行く時に、この木を切って櫛にして嫁入り道具の一つにしたとの言い伝えもあります。

 日本では9は苦4は死とゴロ合わせされ非常に縁起の悪いものとされていますが、これがクシ(94)となると人生に起こる色々な"もめごと""トラブル"も溶きほぐす物となり大変縁起の良い物に変身いたします。また、つげ櫛は原木から製材、乾燥、デザイン、彫刻等のたくさんの過程をへて完成には1年以上を要します。一つ一つが経験を積んだアーティストの手によって、味わい深い櫛に仕上げられます。

 入念に仕上げられた貝塚"和泉櫛"作り手から使い手へ感謝の気持ちを込めて、今あなたに贈ります。





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